華麗なる大円舞曲③
工藤洸一は公園にいた。
砂場のへりに座り、タバコを吸っている。この場所だと通りからは見えない。
― 俺は何をしているんだろうか……
自首するつもりもなく、かといって、どこかへ逃げるわけでもない。ただこうして座っているだけだった。どうしても昨日ここで見た光景が頭から離れないのだ。
― だから、どうしたと言うんだ! どうにもならないじゃないか……
洸一は心の中で自分を罵った。
― 人に惹かれると、相手も同じ気持ちだと思い込んでしまう……間違いだ。向こうは何も感じなかったに違いない……
洸一はフィルターの所まで灰になったタバコを地面でもみ消した。その時、微かな靴音が聞こえてきた。
― しまった!
急いで物陰に身を隠す。
― うかつだった……
小さく舌打ちし、すぐに逃げられる体勢を取る。靴音はだんだんと近付いてくる。彼は息を殺した。
街灯の光で靴音の主の姿が、足の方から徐々に浮かび上がる。女性のようだった。
「!」
洸一は目を見開いた。相手がまさに自分が心待ちにしていた少女だったからだ。
「今日は、踊りに来たわけではありません」
久美は洸一のいる方に微笑みかけ、そう言った。その言葉を機に、洸一が物陰から出てくる。
「君は……どうしてここに?」
「お使いのついでに何となく」
久美は後の言葉を目で語った。洸一がその言葉を読み取る。彼は今、自分が思い違いをしていなかったことに気付いた。緊張が解け、穏やかな顔になる。が、それと同時に、今度は久美の表情が曇った。
「警察の人が捜しているのは、あなたですか?」
少しこわばった顔をして訊く。
「!」
洸一の全身に、また緊張感が甦る。
「……そうだ」
彼は視線をそらして答えた。
「自首した方が、いいんじゃないですか?」
「初めはそのつもりだった。だが……」
今度は洸一が目で語った。久美をじっと見つめる。久美もそれをすぐに読み取り真っ赤になったが、暗くて相手には気付かれずに済んだ。
「今までどこに?」
恥ずかしさを隠すため、話題を変える。
「昨日の夜は裏山にいた。昼間は、人ごみの中の方がかえって目立たない」
「そう……」
彼女は踏切でのことを思い出していた。
「でも、それじゃあ、疲れてるんじゃあ……」
「今日、映画館で少し寝た」
そう答える洸一に、久美は少し考えるような顔をしてあらぬ方向を見、
「この辺ねえ、空き家が多いの。今日、警察の人が調べて回ったみたい」
と、呟くように言った。洸一は黙って聞いている。それを見て久美が続ける。
「この前の通りを突き当りまで行って、左に曲がった奥から2軒目の家、『山内』って表札が出てるところ……屋根裏部屋があってね、ちっちゃい頃よくそこで遊んだの」
「……」
「今は誰も住んでないの。どこかへ移って、売らずにそのままにしてるのね……」
「……2度は捜さない、ってことか」
久美はそれには答えず、俯いた。
2人が話しているのと同じ頃、西谷たちは公園の前まで来ていた。
「昨日、この辺で見失ったんだ……」
西谷が独り言のように言い、周囲を見渡す。
「ネーッ、西谷さん。帰りましょうよォ。クタクタですよ、もう」
「おまえは文句ばかり言ってるなあ。そんなに嫌ならデカやめろ!」
「ンなこと言ったって……。どうせもう、ここにはいませんよ」
「……そうかもしれん」
「ねっ? だから帰りましょ? アーッ! やっと眠れる! よーし、思いっきり寝るぞ! 豚のように眠ってやる!」
相手が譲歩したとみるや間髪を入れずに言う。
「何だ、そりゃ?」
西谷が呆れ返っていた。
「ん?」
伸びをしていた広岡が、何かに気付いてそれを止めた。
「どうした?」
「に、西谷さん、アレ!」
慌てた様子で公園の中を指差す。
「あっ! ……ヤツだ」
2人が頭を低くする。
「もう1人いますね」
「ああ。女だな」
「クソーッ、あんにゃろー。ギタギタにとっちめてやる!」
女と聞いて逆上したのか、広岡は何も考えずに中に飛び込んだ。
「あ……ばか。何、とち狂ってやがんだ! よせ、広岡!」
「クドーっ! 御用だ! 観念しろ!」
広岡が走りながら喚く。
「!」
洸一が広岡に気付いた。久美もそちらを振り返る。
「あんのバカ野郎……女に振られたばかりいやがるからな」
西谷も仕方なく後を追った。
「……」
久美が洸一をやるせない表情で見つめる。
広岡が迫ってくる。
久美を見る洸一の顔が一瞬歪む。
「すまん!」
言うが早いか、久美の顎を横から洸一の掌底がかすめた。彼女が脳震盪を起こしてその場に崩れ落ちる。それを洸一がセカンドバッグを盗ると同時に頭を打たないよう操作する。
西谷たちには気付かれないように、だ。
「あっ! ヤロッ!」
広岡が怒鳴る。
バッグを手に洸一が逃げる。
「大丈夫ですか!」
広岡が久美を助け起こした時、西谷も到着した。
「広岡! 追え!」
「はい!」
洸一を追って広岡が裏口の方へ走ってゆく。
それを見送ってから、西谷は久美の身体を支えたまま訊いた。
「は、はい……」
久美は片手でこめかみを押さえながら自力で立ち上がろうとしたが、西谷がそれを制し、「まだあまり動かない方がいい」と、彼女をベンチに座らせ、自分は中腰のまま、
「私は警察の者です。今の経緯を話して頂けますか?」
と、尋ねた。
「……」
「ああ、落ち着いてからで結構です」
俯いたまま答えない久美に、西谷はそう言うと自分も横に座った。じっと観察するように久美を見ている。
視線に気付き、久美は慌てて口を開いた。
「お、お金……お金を出せと言われました」
「それで」
「そ、それで……断ったら……」
「殴られたわけですね」
「はい」
「ふ~ん……」
考え込む西谷を、ちらっと久美が盗み見する。
「知合いですか?」
「い、いえ! 名前も知りません!」
これは本当だった。が、久美は予想外の質問に狼狽えていた。
「じゃあ、なぜここに?」
「それは……父の煙草を買いにきて、それで……」
「それで? タバコは公園にはないでしょう?」
「それは……」
「くみーっ!」
その声に2人がそちらを見ると、敏男が慌てふためいた様子で駆けて来た。
「パパ」
久美にとっては思わぬ助け舟だ。
「ハア、ハア……遅いと思って来てみたら……どうしたんだ? この方は?」
息を切らせながら言う敏男に、西谷は立ち上がり警察手帳を取り出して見せた。
「どうも。お宅のお嬢さんが我々の捜していた犯人にハンドバッグを奪われまして、軽いケガを。今、その事情を聴いていたところです」
「えっ! あの殺人犯に!」
敏男はまた素っ頓狂な声を出した。
「……はい」
西谷は何か言いかけたが、やめたようだった。
「だから言っただろ! 危ないから行くなって! それをおまえは……刑事さん! 刑事さんも早くそんなヤツ捕まえてくださいよ!」
敏男は錯乱し、2人に文句を言った。
「パパ!」
「あっ……すみません」
我に返りシュンとなる。
「いえいえ……全力を尽くし、早急に逮捕します」
「……お願いします。久美! さあ、帰るぞ」
そう言い、敏男は久美の腕を引っ張った。願ってもないことで彼女はすぐに従った。
「あ、一応、被害届を出しといてください。明日で結構ですから」
「あっ、いいです!」
咄嗟に久美がそう答えた。
「?」
西谷がそれに対して久美を訝しげに見る。
「あっ……いえ、あの、別にたいした物、入ってませんでしたから……」
取り繕うように、久美はそう言葉を継いだ。
「何バカなこと言ってんだ。はい、必ず明日出しますんで。今日はこれで……失礼します。オイ、行くぞ!」
「失礼します」
これ以上言い張ると、余計怪しまれると思い、久美も敏男に倣った。
西谷が黙って頷く。
「すみません……見失いました」
2人と入れ違いに広岡が戻ってきた。
「署には連絡したか?」
西谷は広岡の方を振り向かず、帰って行く父娘を見ながら訊いた。
「はい。流してたパトカーが、今ヤツを捜してます」
「そうか……よし! 帰るぞ!」
「えっ? 帰るんですか? でも」
「明日から忙しくなる。今日はゆっくり休んどけ。……ハハッ、豚のように、な」
「はあ……」
広岡は西谷の変わりように面食らっていた。
「それとあの女、マークしとけ」
「えっ? あの子を、ですか? あの子は関係ないんじゃあ……」
「そんなこたァ、分からねえよ……」
西谷は不敵な笑みを浮かべながらそう言った。