序曲・雨だれ
雨が降っている……
道端に置き去りにされた三輪車のシートを、雨が激しくノックしている。
いつもなら、近所の主婦や子供で賑わうこの公園前の通りも、昼過ぎから降りだした雨に客を奪われ、寂しそうに泣いていた。
そこへ走ってくる人影 ― 男だった。
「ハア、ハア……。ちくしょう」
呟くと、その20歳位の男は勢いよく公園の茂みの中に飛び込んだ。地に伏し、身を固くして息を殺す。
しばらくして、その前を2人の男が走り抜けてゆく。2人とも背広姿で、1人は20代前半、もう1人は40半ばといったところ。そのまま速度を緩めず、雨のブラインドの中に消えてゆく。
茂みに隠れていた男は、2人が戻って来ないことを確認してから立ち上がった。
「……」
険しかった表情が次第に憂鬱そうなものに変わってゆく。肩を落とし、公園内へと向かった。
植え込みから出た男は、滑り台に背を付け、空を見上げた。
赤黒い空から落ちた液体が、男の顔の上で跳ね回る。その横顔は、解き放たれた者のそれではなかった。
ブルージーンズが濡れて紺色になっている。白いシャツが雨でへばり付き、華奢に見えるがその実、筋肉で引き締まっている彼の胸板を浮き彫りにしていた。
ゆっくりと目を辺りに移す。子供が表で遊ばなくなった、と嘆かれるようになって久しいが、この公園のブランコやジャングルジムの塗装の剥げ具合を見た限りでは、それらがただの杞憂に過ぎないように思われる。砂場には子供用のバケツやプラスチックのスコップなどが無造作に転がっていた。急な雨に忘れたのだろう。
公園を横切って反対側に出るため、またふらふらと歩き出した男は、奥の方で何か白いものが動いていることに気付いた。
「!」
男は目の前の光景に動作を失った。
彼の瞳の中には、髪の長い少女の姿が映っていた。
右足を上げ、身体を地面と水平に伸ばす。左手は前へ、右手は柔らかく天を指している。身体をゆっくりと起こしていき、両足が揃った途端、クルッと一回転して反対側へ跳ぶ……
少女は雨の中で踊っていた。傘もささず、真っ白なワンピースで華麗に舞う。
男は口を薄く開き、瞬きを忘れた。その表情は、まだ少年の面影を残していた。
しばらくして、1つのポーズを取った時、少女も男に気付き、踊るのをやめた。
「……」
彼女もまた一瞬、呆けたような顔になる。それが次第に柔らかく、優しいものに変わってゆく。
男の表情にも先程までとは別の、何かが宿り始めていた。
互いに何も言わず、ただ見つめ合っている。
雨はいっそう激しく、振り続けていた……