街の片隅で…・3章

 

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ママ……ママ……

麻衣が呼んでいる……。さとみは肩を揺すられて長い夢から目覚めた。

「う、う~ん……」

「ママ、暗いよ。早く、おうち帰ろうよ」

「え、ええ……そうね」

思考できない。

さとみは頭を振って半覚醒の意識を起こそうとした。身体の上のコンクリート片やひしゃげた段ボールがバラバラと落ちる。

 

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目をしっかりと開く。それにより、自分がうつ伏せに眠っていたことと辺りが真っ暗なことに気付いた。そのままじっとしていると次第に目が慣れて来て、薄ぼんやりと周りの状況が浮かび上がってくる。

「あっ、そうだ! 地震に遭ったのよ! イタッ……」

ようやくそのことを思い出して起き上がろうとした時、足に激痛が走った。動けない。首をねじって足元を見ると、下半身はガレキの下敷きになっていた。

「あっ、麻衣ちゃん! ケガはない?」

娘を掴んで引き寄せる。

「足とおてて、いっぱいすりむいたよ……」

情けない声で肘と膝の辺りを示し、麻衣は答えた。

「それだけ? ねっ、他は何ともない?」

「ボーシがない」

そう言って自分の頭を手で撫でている。

「そう……後で探そうね」

安心して手を離し、彼女はまた地に伏せた。

 



 

助かったのね……

さとみはぼんやりとそう思い、重ねた手の上に頬を乗せたまま辺りを見渡した。

暗くてはっきりとは分からないが、2メートル四方ぐらいのスペースがあるようだ。彼女のすぐ左に子供の背丈ぐらいほどの壁が残っており、それに大きなコンクリート板を立てかけた状態になっている。それを基準にガレキが複雑に絡み合って《屋根》を形成していた。右に行くほど低くなっている。頭側の床は亀裂が入り隆起していた。

用品の詰まった段ボールがクッションの役割を果たし、天井と壁の崩れ方により自分たちが奇跡的に助かったということを、さとみは改めて悟った。

 

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直接《屋根》がのしかかっていないことを祈り、彼女は抜け出ようとしてみた。

「ああ!」

やはり痛さに地に伏せる。何度か試したが、同じことを繰り返すだけだった。

「ママ~ッ。早く帰ろうよ。おなかすいたもん……」

顔の横にしゃがんでいる麻衣が急かす。

「わ、わかってるわ! ちょっと待ちなさい!」

ほふく前進の要領で抜けようとする。足に全く力が入らず、腕だけしか使えなかった。

「はうっ!」

苛立ちがパワーを生んだのか、ほんの少し前に進んだ。それだけで彼女の下半身を覆っているガレキががらがらと落ちた。

「……」

驚き、動きを止め《屋根》を見上げる。

大きなコンクリートの塊。その上におぶさっているであろうガレキの山。これが落ちてきたら……背筋を寒いものが走る。彼女は微妙なバランスをできるだけ損なわぬよう、ゆっくりとトライした。

 



 

「うう~っ……」

身体に力を入れる都度、痛みが脳天にガーンと来る。

「ん~っしょ! ん~っしょ!」

麻衣も母親の服を掴んで懸命に引っ張っている。手伝っているつもりだろうが、さとみの着ているサマーセーターがずり上がり、日焼けした手や顔とは違って色白な脇腹を露出させるだけで、全然役には立っていない。

「もう!」

ブラジャーが顔を見せたあたりで、さとみはうるさそうに麻衣を突き飛ばした。

「……」

尻餅を付いた娘は、仕方なくもがく母親の姿を黙って見ていた。




膝まで抜けた頃、床の隆起にぶち当たり、そこから身体をくの字によじる。

「ふう……」

「やった、ママ!」

麻衣が叫ぶ。さとみは数十分間悪戦苦闘した末、ようやくガレキの山から抜け出した。犬のように丸くなったまま、目を閉じぐったりとしている。

「……ママ、これで帰れるね」

しばらくしてから麻衣が小声で言った。母の疲れを感じ取り、彼女なりに気を遣っているのだろう。

その声でさとみはやっと目を開き、上体を起こした。壁に近いところでも《屋根》に頭がくっつきそうだ。

 



 

「……」

足元を見る。彼女が抜けてからも《屋根》に影響はなかった。やはり直接のしかかってはいなかったのだ。壊れた用品、段ボール、コンクリート片など、自分を押さえ付けていたものの重量を目算で割り出す。

あれだけでこれほど手間取ったということは……彼女は自分の身体を探り自己検診し始めた。

頭。瘤ができている。が、出血はなし。顔……腕はさっき使えたから大丈夫。右前腕に出血の痕あり。もう止まっている。腰も痛むが動かせるから大したことはなさそう。ふともも……膝……脛……イタッ!

やはり左足を折ったようだった。よく見ると爪先があっちを向いている。右も同じく使えなかった。足首辺りが激しく痛む。ひびか捻挫だろう。

とにかくこれでは動けない……

 

 

「ママ……帰ろう」

麻衣がさとみの肩を掴んで言った。

「う~ん……」

「ねえ……」

「……麻衣ちゃん、あのね、今日はここでネンネしない?」

しばし考えた末、さとみは作り笑顔でそう尋ねた。

「え~っ、なんでぇ~っ」

麻衣が口を尖らせる。彼女からすれば一刻も早くここを出たいという気持ちを今まで抑えてきたのだ。

「う~ん。ママ疲れちゃったし、それにもう遅いから」

「遅いって何時? 9時?」

「え、ええ……もっと遅いわよ」

「……」

泣きそうな顔で俯いている。

「ねっ? いい子だから。一つ寝たら、朝になったら帰りましょ。ねっ?」

「……うん……」

少しは状況を理解しているのか、麻衣は意外にあっさり承諾した。が、何か口ごもっている。それに気付いてさとみが「どうしたの?」と訊くと、

「でも、朝……くるの?」

少し言い淀んでからそう言い、麻衣はじっと母親を見詰めた。

「……」

彼女はすぐには答えられなかった。実際、今が夜なのかさえ分からない。腕時計は仕事の性質上、外して車の中に置きっぱなしになっていた。

「来るわよ。何言ってるの……。ね、ほんとに来るからもう寝なさい」

3歳児に対する答えは、やはりこれ以外なかった。

さとみは麻衣を引き寄せて横になった。

朝になれば誰かが助けに来てくれる……そう思うことで何とか自分を納得させて、彼女も眠るよう努力し始めた。

 

 

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