革命①
「ねえ久美。あの服、可愛いと思わない?」
「……」
「久美ったらァ」
「……ん? 何? 何か言った?」
「もう……どうしたの、今日は? 練習はしてこないし、ずっとボーッとしてるし……熱あンの?」
そう言って友達の寛子が久美の額に手を当てる。
「ううん。どうもしないよ」
力なく笑い、久美はそう言ったが、すぐまた虚ろな目に戻る。
「ふ~ん……」
寛子がそれを見ては呆れる。
久美は悩んでいた。洸一が昨日最後に言った言葉と、敏男の言葉が重なって久美を苦しめていた。正直な話、少し迷い出していた。
― もう、分からない!
叫びそうになるのを必死で堪えている。
昨日の夜はそのことばかりが頭を駆け巡り、一睡もできなかった。ピアノのレッスンに行ったのも、こうして友達とぶらぶらしているのも、家にいたくないからだった。部屋にこもっていると気が変になりそうだった。
「もう帰ろっか。私まで変なビョーキ移りそうだし」
「……ごめんね。ヒロ」
「いいって。また元気な時おごってもらうから」
「うん」
久美は弱々しく笑った。
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2人はアーケードを出て駅に向かった。
もう夕方だというのに、夏の陽射しは真昼のようだ。睡眠不足には辛く、久美が目を細める。風景が黄色くなったり赤くなったりした。
「あっ、そうだ久美。久美、Y市だったよね?」
急に思い出したように寛子が言う。
「うん……そうだよ?」
「4・5日前だったかな。うん? もう1週間ぐらいになるか。H市で事件があって、その犯人が今、あんたンとこら辺に潜伏してるかも知ンないって、知ってた?」
「!」
「? ……どうしたの?」
寛子が久美の表情の変化に気付いた。
「ううん! 何でもない」
「そう? ほんとに変なんだから」
「ヘヘッ……ごめん」
久美はそう言って笑った。が、実際は、詳しいことが聞けるかもしれないという、期待と不安の入り混じった心境だった。
だいたい、知ろうと思えばいくらでもその方法はあった。古い新聞を引っ張り出すなり、直接洸一に聞くなりすればいいことだ。
それならなぜそうしなかったのか? 恐かったのだ。洸一を信じてはいるが、もし想像以上に凄惨な事件だった場合のことを考えると、どうしても自分から知ろうという気になれない。自然に知らされるのが一番好ましかった。
「でも、考えてみたら可哀そうよね。あの工藤って人も」
「工藤? 工藤っていうの、その人!」
久美が急に寛子の腕にしがみ付く。
「あたたたっ……な、何よ、久美……どうしたの!」
「あっ、ごめん……」
我に返り、久美が手を放す。
― そう言えば、警察の人もそう呼んでいたような……まだ名前も知らなかったのね、私たち……
「ほんっとに、ごめん! もう、おかしなことしないから。……それで?」
久美はもう聞く決心をした。
― 今日中に決めなくちゃならない……
「もう、頼むわよ、ほんとに……。その人の名前は工藤。私ちゃんと新聞も読んだんだから。工藤洸一。21歳。分かった?」
「くどう、こういち……21歳……」
久美はその名を噛み締めるように復唱した。
「その工藤って人ね、お母さんと2人暮らしだったんだけどね」
「えっ! そんなはずは……」
「……」
「あっ……ごめん、続けて」
ヒロに睨まれて久美は小さくなった。
「エヘン、ウ~ン……中学の時からその人、バイトしながら家計助けてたんだけど、やっぱそれじゃあやってけないってんで、お母さん勤めてた工場辞めて夜の仕事に転職したの。後はお決まりのようにヒモが付き、散々利用された挙句死んじゃって、怒った息子が文句言いに行って一悶着。それでそのヒモ殴り殺しちゃったんだって……。だけど絵に描いたような悲劇よね。今時そういうのあったんだ。私らは幸せもんだわ」
「……」
何気なく話している寛子とは違い、久美は沈鬱な表情をしていた。洸一の哀しみを考えていたからだ。
「……あっ! でもそれじゃあ、殺人にはならないんじゃないの? 殺す気はなかったとすれば過失致死、悪くて傷害致死ってことに……」
「う~ん。それが難しいんだよね……その工藤って人、長いこと空手やっててね、有段者なのよ。そういう人の場合、刃物使ったのと同じ扱い受けることもあるらしいの」
「そ、そんな馬鹿な……」
「そうよね。空手やってても人間は人間よね。そんなんだったら、空手習う必要なんてなくなるわ。いくらそういう人でも、後ろからブスッてやられれば終わりだもんね……ハハッ、そういう場合でも凶器対凶器ってことになンのかしら。変よね、やっ゜それって。ンなこというんだったら、体重100キロ以上の人は凶器とかいう法律も作らないと不公平だわな」
「……」
寛子がこれほど判官びいきだということは久美も知らなかった。が、そんなことは今は
どうでもよく、久美は必要そうなところだけ頭に入れて、何か考え込んでいた。
「でも、何で自首してこないのかしら?」
寛子がふと思い付いてそう言った。
「!」
「事件のタイプから言えば、そのまま警察に直行か、2・3日後には自首してくるのが普通よね。……そう思わない?」
「えっ? ……うん」
久美は視線をそらして俯いた。
― 私のせいだ……私のせいであの人は罪を重ねようとしている……
久美はよけいにどうすればいいのか分からなくなってきた。
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久美が悩みながら歩いているのと同じ頃、西谷の所属している捜査第一課に一本の電話が内線で回ってきた。
「はい。その事件の担当責任者は私ですが……ああ、こないだの。はい……えっ」
西谷の表情が変わった。それを見て広岡もすぐに飛んで来る。
「それで、場所は? はい。10時に……」
手早く筆記する。
「……ああ、お嬢さんのことは心配しないでください。罪にならないよう、こちらで旨く処理しますから……はい、大丈夫です。その点もちゃんと考えてます。娘さんは無事、ご家族の所にお返しします……はい、ですから無理に引き留めたりしないでください。感付かれる恐れがありますから……」
西谷は相手の連絡先を聞き、電話を切った。
「何の電話ですか?」
広岡が横から聞いた。
西谷がその広岡を睨む。
「このバカ野郎! おまえ、ちゃんとあの女見張ってたのか!」
「えっ! あの子……関係あったんですか?」
「あったも何も、大ありだよ! このバカが……ったく」
「すみません……」
広岡がシュンとなる。
「まあいい。どっちみち今日捕まえる」
「……ヘヘッ」
立ち直りが早いことだけが広岡の取柄だった。
「ただし! 今日ドジ踏んだら、デカ辞めさせるぞ!」
「はい! ぐわんばります!」
そう言い、広岡は敬礼した。
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