2
高度25000フィート。
せっかちな人々が死の行進のために使う乗り物以外通らない、遥か雲の上にその飛行物体は停止していた。
「ん……この下から微弱だが、割合はっきりとした《気》を感じる」
「う~ん……私も今、そう思っていたのだ。しかし……」
「ああ。まだ《ラプチャア》していなかった人間がいたのか。しかも二人……いや、三人か」
「うん……だが、見つかるだろうか。この国の概念では捜すのに一苦労だ」
「ああ。なんせ、閉鎖的思考だからな。呼びかけに応じない」
「もう少し降りてみるか?」
「いや。今はやめておこう」
「だが、もうあまり時間がないぞ」
「ああ。いずれにせよ、これで最後だ」
「……来るだろうか」
「分からん」
そこで会話は途切れ、二人を乗せたその飛行物体、地球人がUFOと呼んでいるものは、瞬時にその姿を消していた。
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3
涼は本屋に来ていた。
学校の帰り道、本屋に立ち寄るのが彼の日課であった。
広い店内を彼はうろうろしている。初めて来た店なのだ。自宅の近所の書店には、もう求めているジャンルで所有していないものはなくなっていた。だから今日は電車に乗り、都心まで足を延ばしたのだ。これで三店目だった。
自分を知りたい。自分にはなぜあんな力があるのか? その謎を解く手がかりを捜すことが、今の涼には一番重要なことだった。
― えっと、どこだろうな……だいたい、ああいうものは奥の方に……あっ、あった!
ようやく《神秘もの》の棚を見つけ小走りに近付こうとする。と、その時、
「うっ!」
涼は強い《気》を感じて面食らい、槍で射止められたように立ち止まった。
涼の目の前には、セーラー服を着た一人の少女が立っていた。本の背表紙を目で追っている。
― 凄い《気》だ……
彼がそう思った瞬間、呼びかけられでもしたかのようにその少女は振り返った。
「!」
彼女も驚いたような顔をして涼を見た。
目と目が合う。
涼は自分の《気》と彼女の発している《気》が同調していくのをはっきりと感じた。
「ううっ……」
それは何とも言えぬ感覚だった。羊水に包まれた胎児はこんな具合なのだろうか、と、白い靄に消えていく思考の中で、涼はぼんやりと思った。
二人はしばらくの間、そのまま見つめ合っていた。彼女も相手に何かを感じていたのだ。
「はっ!」
我に返った涼は何を思ったのか急に踵を返して、そのまま逃げるように出口へと向かった。振り返りもせずに外へ出て行く。
「……」
その場に残された少女はどこか悲し気な表情をして、じっと彼の去った方を見ていた。
外へ出てからも振り返らず、涼は日の暮れ始めた街を険しい表情でどんどん歩いて行く。
が、進むにつれ次第に歩く速度が遅くなってきた。表情もそれに比例して情けないものに変わってくる。今になって、一言も話さず出てきたことを後悔し始めていた。
同じぐらい、いや、もしかするとそれ以上かもしれない。そんな凄い《気》を発している人間と出会ったのは今日が初めてだった。
しかし、気に掛かっているのはそのことだけではない。波長の合い方だ。
― 普通の人間同士のものではない……
良し悪しは別にして、いずれにせよ、彼女が自分の人生に転機をもたらす人物だということは、一目見て涼にも分かった。そのことが、この上なく恐ろしかったのだ。
― しかし、このままでは……
別れ際、立ち去る時チラッと視界の隅が捉えた彼女の失望した悲しげな顔が、いつまでも彼の頭から離れなかった。
「毎日遅いのね……また本屋?」
スプーンですくったシチューを吹いて冷ましながら涼の母・冴子が訊く。
「うん」
涼は顔を上げずに答えた。
「また訳の分からん本買ってきたのか? あんなもん読んで何になるんだ。……まあ、おまえは成績が良いから大目に見ているが、もうそろそろ将来のことを考えて違う本も読め」
父親の繁雄がビールを飲みながら、早乙女と同じようなことを言う。
「うん」
涼はまた食事を続けたまま返事をした。
彼が家に帰り着いた時にはもう夕食の支度ができていて、珍しく繁雄が早く帰っていた。
涼は三人で食事をするのが嫌いだった。話がギスギスしたものになるからだ。
「違う本と言っても、小説なんか読んでも仕方がないぞ。そうだな……経済学、法学、帝王学も良い。何でも『学』と名の付くものなら良い。世の中、競争だからな。人の上に立つためには、他人よりちょっとでも多く知ってなくちゃいかん……わかるか?」
「うん」
彼はおとなしく頷いた。
繁雄は叩き上げだった。中学しか出ていない。そのコンプレックスからか、いつも同じようなことを口にした。よく分かって言っているわけではない。繁雄が分かっているのは、学がないために自分が虐げられてきたという事実だけだ。
「分かれば良い。うん」
尤もらしい顔で繁雄が頷く。
反発を感じないわけではない。中学生の頃まではよく言い返した。しかし、ことごとく否定された。まだ子供だから……大人になれば分かる、と。涼は今も、大人になっても考えが変わらないことを確信していた。
「涼ちゃん、高校生になって聞き分けがよくなったわね。二年になってからはいつも学年で十番以内に入ってるし」
冴子は嬉し気に微笑んでいた。
「そりゃあ、俺たちの子だからな。ハハッ……」
二人はそれから、自分たちの息子がいかに優秀かを言い合って喜んでいた。
「……」
涼は黙って聞いていた。
聞き分けが良くなったわけでもない。繁雄の気持ちは、ずっと前から分からなくもなかった。ただ、父親が自分の気持ちを理解していないのだ。
涼はもう言い争うことに疲れていた。
「ごちそうさま」
そう言い、彼は席を立った。
「アラッ、もういいの?」
冴子が話をやめて訊く。
「勉強するんだな?」
「うん」
繁雄の問いに返事をして彼は二階に上がった。
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自分の部屋に入り、テレビを付ける。
しばらく何をする気にもなれず、ただぼーっとしていた。
ベッドに横たわる。
テレビのニュースでは社会情勢を報じていた。ある国が自国のデモ隊に対して軍隊を動員し、戦車で砲弾を叩き込んだことを伝えている。無関係な市民をかなり巻き添えにしたようだった。
涼はそれをぼんやりと聞いていた。この手のニュースには、もううんざりしていた。
偶然かどうか分からぬが、ここ数年の間に各国で相次いで政権交代が行われ、国同士の摩擦、体制と反体制の摩擦が激化し、もうこんな事件は日常茶飯事になっていた。
― 俺は何のために生きてるんだろう……
今まで何度考えても解答の出なかったことを、涼はまた考え始めた。誰もが一度は悩む問題である。だが彼の場合、《あの力》があるためにより一層深刻なものだった。
いつも通り答えが出るはずもない。が、しかし、今日は少し違っていた。思い浮かぶ顔があった。
― あの子か……だが、どこに住んでいるんだろう……
涼はまた、あの少女と何も話さなかったことを後悔していた。
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