迷える神々・7章

 

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翌日、涼はいつも通り学校に出席していた。

理科の授業、早乙女が真面目な顔をして授業を進めている。皆も最近は茶々を入れなくなった。早乙女が乗らないからだ。眠っている者や無駄話している者もおらず、大人しく受けている。

 

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平穏そうで何事もないように見える午後。だが実際は、こうしている間にも刻一刻とカタストロフに向かって着実に進行している。そのことに人々は気付かない。全体を俯瞰することのできない一介の人間達にとっては、昨日と何ら変わりのない今日なのだ。

そのことに気付いている涼も、ただぼんやりと黒板を眺めていた。

― よく怒らされたが、早乙女の授業を受けるのもこれが最後かも知れないな……

彼は今夜《飛ぶ》ことに決めていた。故郷へ……。それがどこなのかは涼自身にも分からない。成功する確率も皆目見当もつかない。しかし飛ぶのだ。飛んでみるのだ。今の彼にはもうそれ以外方法がなかった。理恵も承知してくれている。二人で力を合わせれば、何とかなるような気がしていた。

その涼が気付いていないことが一つあった。それは、ぼんやりしている彼に時々特別な視線を送っている者がいることだ。

早乙女だった。昨夜茂みの中から見た、涼の不可解な言動のため、早乙女の頭の中は混乱していた。が、いつもの彼なら一笑に付すはずだ。なのに今回はそれをしない。早乙女にも何か引っ掛かるものがあるようだった。

 

 

終業のチャイムが鳴る。

礼をしてから早乙女はまた涼をちらっと見て、それから職員室に帰って行った。

教科書を取り換えている涼の前の席にドッカと座る者がいる。顔を上げると、やはり中山だった。いつもの如くニヤニヤと笑っている。

「千尋、やっと諦めたみたいだぞ」

「えっ……ああ、そうか、良かった」

そう言い涼も笑った。

「慰めるのに苦労したぞ……でも、ムフフッ」

「ん? 何だよ?」

「デヘヘヘッ」

「何だよ、おい」

「そのお陰で彼女、俺のもんだ。ウヒヒッ」

「えっ、ほんとか! へえ……良かったな」

心からそう思い、穏やかな表情で涼は他の女子生徒と話している千尋を目で追った。

「わたくし中山和弘は、一ヶ月以内に山崎千尋を食べることを、ここに宣言いたします!」

選手宣誓のように手を挙げ中山が言う。

「健闘を祈る……ハハッ」

涼もふざけて敬礼する。理恵のような特別な存在はまた別として、中山といる時が一番心が安らぐと彼は思った。

その中山ともこれで最後かもしれない。それを考えると決心がぐらつき始める。

涼は努めてそのことを忘れようとした。

「うん……ほんとに良かった」

涼はもう一度そう言った。

「ほんとか? ほんとは、コノヤロー! 横取りしやがって! って、思ってんじゃねえか?」

「思ってないよ! 全然。ほんとに」

「ふ~ん……」

涼を疑惑の目で見る。

「な、何だよ……」

「春日涼! 貴様は同胞であるこの中山に、何か隠してはいまいか!」

「えっ?」

「答えろ!」

「な、何を?」

「ンとにもう、ばっくれちゃって」

「だから何を」

「ふ~ん……涼ちゃん、千尋にどう言って引導、渡したの?」

「あ……」

涼はようやく中山の真意を理解した。顔色が変わる。

「ふふ~ん。やっぱりデマカセじゃなかったんだな」

それを見逃さず、中山がニヤッとする。

「どこの子? いくつ? ショートカット? ロング? 名前何てえの?」

「そんなに一度に聞くなよ。答えられないじゃないか……。別に隠してたわけでもないんだけど……水沢理恵っていうんだ。年は一つ下。K市に住んでる」

「へえ……遠いな。ナレソメは?」

「都心の本屋で知り合ったんだ」

「えっ! おまえがヒッカケたの?」

「もう勘弁してくれよ」

「ふ~ん……」

また白い目で見る。が、対応に窮している涼を見て、中山はふざけるのをやめた。

「今度会わせろよ」

真面目な目で微笑んで言う。

「えっ……それは……」

「いいだろ?」

「あ、ああ……いいよ」

彼は仕方なくそう答えた。

チャイムと同時に次の授業の国語教師が入って来た。

「あっ、じゃあ。絶対会わせろよ」

そう念を押して中山は席に戻って行った。

涼はそれを物憂い表情で見送っている。

― 中山、すまん! もう時間がないんだ……

彼は心の中で何度もそう謝っていた。

 

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自室の真ん中に立ち、涼は思案していた。

取り立てて持っていくようなものは何もなかった。いくばくかの資金をポケットに詰め込む。それとて必要になるかどうか分からない。普通の旅行とは違うのだ。

時計を見る。夜の10時半。

もうそろそろ出発しなければならない。涼は用意しておいた靴を履いて窓から外へ出た。

「……」

表に出、彼は家を振り返った。

リビングに明かりがついている。低い位置で赤、青、黄……と色が数秒ごとに変わっている。父親がテレビを見ているのだろう。母の冴子もいるかもしれない。

涼はしばらくそちらを眺めていたが、目を家全体に移すと、クルッと身を翻して歩き始めた。

 



 

駅に向かう。

涼は無表情で歩いた。感情を押し殺している。17年間暮らした家だ。当然、様々な想いがあった。両親に対しても、別に憎いわけではない。ただ、自分というものを分かってもらえないだけだ。

親は身近に居ながら割合子供のことを理解していないものだ。親の心子知らず、とよく言うが、逆だ。そんな言葉が出る自体、分かっていない証拠だ。子は親を見て育つ。見られる立場より理解して当然なのだ。

駅に着き、改札を抜ける。

自分の考えや「力」のことなどを、全部打ち明けようかとも思った。が、そうしたところで親が自分の悩みを解消してくれるはずはなかった。自分で解決するしかなかった。




約束の時間より少し早く涼が着いた時、理恵はもう家の前に出て待っていた。駅からテレパシーで知らせておいたからだ。

二人は頷き合っただけで何も話さず歩き始めた。

住宅地の裏側にある丘陵地帯に向かう。夜遅いため、人気はなかった。

坂を上りながら涼は、横を歩く理恵の顔を見た。やはり彼女の表情も彼と同じく憂いを帯びたものになっていた。

― 当然だ……彼女の所は俺の家のようにギスギスしていないのだから……

涼は申し訳ない気分になってきていた。自分があんな提案さえしなければ……そう思った。

理恵が涼の方を向く。心を読んだからだ。彼女は何も言わなかった。微笑み、目だけが優しく語りかけていた。何も考えるなということなのだろう。丘の上に着けば、一切の雑念を払わなければならない。今は他のことを考えている場合ではなかった。

 

 

丘を上り切り、雑木林を抜けると、そこには夜空を仰げ町並みが一望できる、ほんのわずかなスペースがあった。すぐ目の前は急斜面になっている。二人はそこで立ち止まった。

そのまま、じっと町を見下ろしている。

灯りが点いている家はもうほとんどなかった。理恵の両親も何も知らずに寝床に就いたことだろう。

しばらくして、涼がゆっくりと理恵の方を向いた。彼女も彼の方を向く。

お互いに見詰め合う。

「帰れないかも、しれない……」

涼はぽつりと、しかし緊張感の漂う口調で呟いた。

「うん……」

理恵も真剣な目をして静かに頷く。

そして二人は互いにゆっくりと近付いた。

×                 ×

「な、何してんだ? あいつら……」

昨日、茂みの陰から聞いた約束の時間通りに着いた早乙女は、目の前の光景を見て面食らった。二人が抱き合っていたからだ。

「ケッ……ご大層なこと言ってた癖に、何だよ。ラブシーンなら、わざわざこんな所ですることもなかろうに」

早乙女は舌打ちして呟いた。暗いため、彼にはキスでもしているようにしか見えなかったのだ。いや、明るかったとしても、やはり勘違いしただろう。

だが、その彼も、二人の周りを薄ぼんやりとした光が取り巻くようになってからは表情も変わってきた。

「なんだ?」

目を見張る。

《気》だった。涼と理恵二人の《気》が絡み合い、増幅されてゆく。それは能力のない者にも肉眼ではっきり見えるぐらいになっていた。

「お、おいおい……」

驚き、しどろもどろになりながら、早乙女は木の陰から出て2・3歩彼らに歩み寄った。

段々と光が強くなり、二人の姿がその中でシルエットとして浮かび上がってくる。

「オ、オイって!」

彼はもう何も考えずに駆け寄った。

間近で見るとそれは、うかつに触れることのできない威圧感を、神々しさを備えていた。

「あ、あああ……」

早乙女はどうして良いか分からず、口をあんぐり開けて立ち尽くしていた。

二人が完全なる発光体と化す。

初の試みであるテレポートが、今、成功しようとしていた。その時、

「ワッ!」

早乙女がいきなり光の中に飛び込んだ。目を固く瞑り二人にしがみ付く。

次の瞬間、三人はもうそこにはいなかった。