迷える神々・6章②

 

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涼はベッドに寝転がり天井を睨んでいた。

「アアッ!」

叫び、寝返りを打つ。

― 嫌だ! こんな世の中、もう真っ平だ!

頭を掻きむしる。

― 理恵! 会いたい! 理恵……

涼は心の中でそう何度も叫んだ。彼はもう我慢の限界に来ていた。父親の言葉はただのきっかけに過ぎない。何年間も耐えてきた結果のことだった。

「うん?」

涼が卿に上体を起こした。何か聞こえた気がしたからだ。辺りを見渡す。が、誰もいるはずはなかった。

俯き、大きく息を吐く。

《……ょう……》

「ん……」

また聞こえた。今度は周りを見ずに耳を澄ます。

《……ょう……》

まだよく分からない。目を閉じ、精神を統一する。

《……りょう……》

聞こえる。耳ではなく、頭の奥に直接響いてくる。

《涼……》

声が鮮明になってきた。やはり彼女だった。

「理恵……理恵か!」

《……ょう……へ…じして……》

「えっ? 何だ! 何て言ってるんだ!」

またよく聞こえなくなって、彼は焦って叫んだ。

《……ょう……こころ……なか……よくきこえ…い……》

「あ……」

涼はようやく悟って目を閉じた。また精神統一をはかる。

《涼……聞こえる?》

― ああ、聞こえる……でも、どうして?

《呼んだでしょ? 私を》

― ああ……でもこれは……

《そう。精神観応・テレパシーよ》

― そんな力は、なかったよ……

《私も》

― じゃあ、なんで……

《あなたも、まだ現象に囚われていて全体を見てないわね。みな同じことよ》

― そうか……

《それより、どうしたの?》

― ああ……

《もう……ダメなのね?》

― うん……

《そう……》

頭の中の彼女の声が溜め息をついていた。

― 理恵……

《ん? なに?》

― 今から会えないか……

《……》

― ダメだろうな……

《……分かったわ。来て》

 

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早乙女は涼の家の前をうろうろしていた。インターフォンを押しかけてはやめ、また押しかけてはやめといった動作を何度となく繰り返している。

その時、2階の窓が開き涼が顔を覗かせた。

「あ……」

早乙女は反射的に物陰に隠れる。

涼は辺りを見渡して人が見ていないことを確認すると、そのまま窓から身を乗り出した。

「何やってんだ?」

早乙女はそう呟きながら、他の場所に身を移した。涼が屋根伝いに自分の方に向かってきたからだ。

涼が庇にぶらさがって飛び降りた。音を立てないように膝のクッションを使って着地する。表に出てからはゆっくりと歩き始めた。

「今頃、とこ行くんだ?」

早乙女はかなり離れてその後を追った。

 

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電車を乗り継ぎ、目的地に着いた時には一時間経っていた。

「水沢」と表札が出ている家の前に涼は立っている。早乙女はそれを少し離れた場所から見ていた。

暗闇から理恵が顔を見せる。裏口から出てきたようだ。

「あっ……あンの野郎、大人しいと思ってたが、こんな所に彼女がいたのか……可愛い子だな。羨ましい」

早乙女はひとりブツブツぼやいていた。

二人が歩き出す。

「ん? どこ行くんだ? こんな時間に女と二人で。けしからんな。不純性異性交遊だ。……ムフフッ、しかし、これで奴の弱みを握れる……」

早乙女もそれに続いた。



二人は小さな公園に入って行く。

理恵はベンチに座り、涼はその前にある砂場の大きな造り物のカメの背中に腰掛けた。

早乙女は茂みに隠れている。

「涼……」

俯いている涼に彼女が微笑みかける。それにより彼は顔を上げた。

「理恵、俺はもう我慢できないんだ……」

抑えていた感情が、彼女に会ってまた噴き出してくる。

「……」

理恵は何も言わず、ただ彼を見ながら微笑んでいた。その笑顔は、むずかっている子供に対する母親のそれのようだった。

「何なんだ、この世の中は! ……他人より、他国より少しでも優位に立とうと、どいつもこいつもギスギスして、その疲れから欲求不満が蓄積し、不信感が募り、暴動、闘争、やつあたり、弱い者いじめ……同じ生き方しか認めず、許さず、ちょっとでも変わってる奴は隅に追いやられ、排除される。こんな世の中で、いったい何をしろと言うんだ!」

涼は興奮して叫んだ。

「涼……」

困惑した表情で理恵が声をかける。それにより、彼は幾分冷静さを取り戻し、声を落として続ける。

「……学歴社会のためといって子供たちは勉強、競争を押し付けられ、人間性を失ってロボットのようになり、脱落した者は死を選ぶか犯罪を犯す……なんとか生き残った者も、自分が本当にやりたい仕事には就かず、金や聞こえで職を選ぶ……。採る側にしたって、その仕事に対する能力で選ぶわけじゃない。学力でだ。数学や国語ができなくたって、その仕事に合っている奴はたくさんいるだろうに」

涼は俯いたまま話した。

理恵は何も言えなかった。言う必要もなかった。自分の想いは全て涼が語っているからだ。

「……みんなが必死で走り続けた結果、やっと就けるその職業も、何のためにやってるのか分からないものの方が多い……。文化発展のため? 破壊の間違いだろう……このまま行けば確実に破滅の日は来る。それはもう、そう遠くない……」

理恵は宙に目をやっている涼に、黙って頷いた。

「理恵!」

「!」

急にまた自分の方を向いた彼に、理恵は少し驚いた。涼がふらふらと彼女に近付く。

「……何?」

「帰ろう!」

「えっ? どこへ?」

「……故郷へ」

「えっ……」

理恵の顔色が少し変化した。

「俺は前から思ってたんだ。俺たちのような人間には、こことは別に故郷があるように……ここはまやかしの世界だ。虚像だ。ここには何もない。俺の為すべきことは何もないんだ! ……こんな実体のない生活にはもう耐えられない……な、理恵、帰ろう?」

涼は彼女の膝の上の手を握り、哀願するように言った。

「涼……」

「……俺は、農家でも漁師でも何でも良いんだ。実のある暮らしなら……。金も名誉もいらない。俺はただ平凡に、静かに生きて行きたいだけなんだ……」

涼が理恵の膝に縋りつく。

「……」

理恵は哀し気な表情で彼を見ていた。自分の〔場所〕がないという彼の苦悩は、十分過ぎるくらい理解できた。

頭を優しく撫でる。

涼は長い間顔を上げなかった。泣いていたのかもしれない。

「……分かったわ、涼……帰りましょ」

しばらくして穏やかな声で彼女は言った。

「理恵……」

涼が顔を上げる。

「とにかく、帰ってみましょう、原点に。そこに答えがあるはずよ」

理恵は涼の髪に手を乗せたまま、夜空を見上げて言った。

「……あいつら……」

茂みに隠れて一部始終を聞いていた早乙女の顔も、初めの頃とは一変して真剣なものになっていた。

 

 

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