迷える神々・6章①

 

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「そうか、やっぱり理恵もか……」

理恵と会っている時にしては珍しく、涼が険しい表情をしている。

「うん……」

その横顔を見ながら彼女は答えた。

 

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二人は広い公園のベンチに腰掛けていた。

日曜日のため親子連れが多い。公園だからといって必ずしも空気が良いとは限らない。ここが良い例だった。四方を大きな道路に囲まれている。車の騒音がすごかった。

「呼ばれているような感じがしたのは、昨日が初めてじゃない」

「私も。小学生の時に一度」

「ああ」

涼が理恵を見詰める。彼女も自分と同じような辛い目に遭ったのだろうと思った。

「自分の能力に気付いたのはその時だった……いや、その時、呼び起こされたのかもしれない」

「……」

理恵は黙って涼の話を聞いていた。彼女は哀しそうな顔をしていた。彼が何を言おうとしているかが分かっているからだ。

「初めは夏休み、家で宿題をしている時だった。消しゴムを落っことして、机と壁の間に入ってしまい取れなくなった。予備がないから困るので、『出てこい!』って思ったら、転がって出てきた。……俺は呆気に取られてもう一度消しゴムを放り込み、念じた。また出てくる。それから何度も何度も試したが、その都度消しゴムは転がって出てきた。俺は宿題なんてそっちのけで、仲の良い友達の所へ飛んで行ってそれを見せた。……ハハッ、その後どうなったかは、おまえなら分かるだろう」

「うん……」

「気持ち悪がられて口も利いてくれなくなった。相手が怯えてるのにも気付かず、調子に乗って消しゴム、ぽんぽん飛び跳ねさせたりしたからな、ハハッ。試しにやってみたら簡単にできたんだ……」

涼の顔から自嘲的な笑みが消え、暗い表情になる。

「……やっぱり、俺たちがおかしいのだろうか……人間じゃないのかも……」

「そんなことない! そんなことないわよ、絶対……涼も私も人間よ。こんな力があったってなくったって同じことよ!」

理恵はむきになっていた。彼に危ういものを感じたからだった。

「……俺たちが安住できる地が、どこかにあるような気がする。あの呼び声はそれを教えているんだ。俺はその地を捜しに行きたい」

「……」

理恵はもう何も言わなかった。自分も同じような気持ちなのは確かだったからだ。

夕暮れ時が近づくにつれ、少し肌寒くなってきた。

 



 

「さあ! そろそろ行こうか!」

湿った空気を吹き飛ばすかのように、涼は明るくそう言い立ち上がった。

「うん!」

理恵もそれに続く。

出口に向かう二人の横を、ボールを追っかけて少年が擦り抜けた。

ボールは今にも車道に転げ出ようとしている。

「……」

涼がそのボールを見た。その途端、ボールは何かにぶつかったかのように少年の方に跳ね返ってくる。

「アレーッ?」

その子は首を傾げていたが、すぐに何もなかったように仲間の所へ帰って行った。

理恵が涼の横顔を見て微笑む。

涼も笑った。

「でも、こんなとこしか遊ぶ場所がないなんて、かわいそうだな」

「うん……」

二人は公園沿いの歩道を駅に向かって歩いた。また、いつも通り会話をしなくなる。

 

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「ん?」

信号を渡り駅に入ろうとする二人に、何やら喚いている声が聞こえてきた。

そちらを見ると、そこには変な格好をした男が立っていて、通行人の幾らかがその男を遠巻きにして見ていた。

「万人どもよ! 良く聞くのだ! 今、人類は大変な危機に陥っている! 私はそれを伝えるべく現れたメシヤなのだ! 皆、私のもとに集まれ!」

辻説法のようだった。周りの人々は大概、少し聞いては去って行く。真面目に聞いている者などほとんどいなかった。それでも、その男はひたすらがなり立てていた。

涼のそばに大学生らしき二人連れが立っていて、男を見ながら話していた。

「最近、あんな変なのが多いなァ……」

「ああ……本当に今の世はもう終わりなのかもしれないな。この世の終わりには、あんなのが増えるってよく言うだろ?」

「うん」

「……あんなことやったって無駄なのにな。原発事故の時も、中東で初めて核が使われた時も、その時だけだろ? 驚いてんのは。みんな、すぐ麻痺しちまう。不感症なんだ。まあ、情報操作とかも関係してんだろうけど……何も変わんないよ」

― そう……何も変わらない。何も……

涼はその二人連れの話を聞き、再び暗い表情になっていた。

「……」

理恵はそれを哀しそうに見ていた。




「だから俺は言ってやった。大学出ててもお前らのような奴はしょうがない、てな」

夕食の時、父親の繁雄がまた得意そうに話し始めた。昼間、従業員に言った言葉を再現している。繁雄は総員十人程度の小さな工場を経営していた。

「ふ~ん……」

妻の冴子がいい加減に相槌を打つ。涼は何も言わず黙々と食べていた。

「紙一枚にしても、もったいない使い方しやがる。人間は頭を使わなきぁな」

「……」

冴子も面倒臭くなりシカトし始める。要するに、ほんの些細なことでいつもの如く長々と説教したというだけの話だ。繁雄はそういう性格だった。箸が転んでも笑う、というのならまだ可愛げがあるが、彼の場合はそんなことでも、人間というものは……と、いつの間にか人間論、人生論に変わっていき、それが延々続くのだ。真面目に聞いているととばっちりを食う恐れもあった。

「涼はあんなクズになるなよ。良い大学に入って……遊んでちゃダメだぞ? 人生は短いんだ。無駄なことをしている暇はない! 思いっきり勉強して、脇目も振らず突進するんだ!」

自分の言葉に酔っている。

― 何が無駄なことなんだ? 人間から無駄を取ったら一体何が残るというんだ……脇目も振らず突進? 何に突進するんだ……死に向かってか?

涼は悦に入っている父親をちらっと見て、またすぐ視線を落とし食事を続けた。

「俺は本当は自動車関係の仕事をやりたかったんだ。俺の子供の頃はまだ今みたいに発達してなかったからな。親が反対したんだ。それに俺には進学して勉強する暇もなかったからな。兄貴がろくでなしで俺が家計を助ける為に働かなければならなかった……。でも、ほら見てみろ、今の自動車社会を。俺がやってればなあ……億万長者になってた。ビルが建ってるぞ」

涼は聞いているのかいないのか、黙々と食べている。

 

 

「大学を出てても外人と話もできない奴がいるが、あんな奴は四年間何やってたんだろうなあ。俺が行ってりゃ、英語もフランス語もペラペラになってるはずだ」

涼が顔を上げた。繁雄はそれに気付き、そちらを向いて続ける。

「中学の時、英語の発音が良いって言われてたんだぞ」

ガチャン、と涼が茶碗を置き立ち上がった。

「それがどうした!」

いきなりそう言い、父親を睨む。

「ア……」

繁雄は口を半開きにしたまま呆然としていた。何が起こったのか、すぐには理解できないようだった。

冴子も驚き、口に箸をくわえたまま息子を見詰めている。

「……」

涼は呆気に取られている両親を残して、そのままキッチンを出て行った。

「……お、おい、俺、何か特別なこと、言ったか?」

繁雄はビールのコップと箸を手に持ったまま妻に聞いた。

「……いいえ……いつもと、同じようなもんじゃない?」

冴子もぼーっとしている。

「そうだよな……どうしたんだ、あいつ?」

「……さあ、疲れてんのかしらね……」

二人は自分たちの息子が出て行った方向を、長い間ぼんやりと眺めていた。

 

 

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