街の片隅で…・5章

 

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18日午後3時25分頃、東海地方を襲った大地震は気象庁の発表によると、マグニチュード7.3、震源の深さ4キロの直下型地震で、震源である新城市・豊川市を中心に岐阜・静岡・長野・山梨にまで家屋損壊・焼失、土砂崩れ、土石流などの大きな被害をもたらした。

 

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やはり大自然のことを、たかが人間ごときに予見することなど不可能なのだろうか。元々この東海地方は国土庁により観測強化地域に指定されていた。明治から当時に至るまで非常な勢いで御前崎が沈降している、これは異常沈下であって、やがてこれが跳ね上がって巨大地震になるだろう、というのが指定の根拠だった。

しかし、このことについては、明治時代のデータの読み違いがあったということが後日公表され、今のところ異常はないという見方に切り替えられた。そのため一時は明日にでも大地震がくると騒がれていたのが、最近では言われなくなっていた。そのまま指定解除はされなかったが、その地の住民にすれば、もう大丈夫、という気持ちになっていたとしても不思議なことではない。




そういったことに重ねて、地震の起った場所が問題だった。当初の予想では、プレート境界である南海トラフ(地殻をはり合わせた板と考えた場合の、その合わせ目)にフィリピン海プレート(板)が滑り込むことを仮定して、東海沖に海溝型の地震が発生するとみて監視を続けてきた。したがって被害は太平洋沿岸の地域に集中すると考えられていたのだ。それが蓋を開ければ陸の上、現段階では未だ予測のつかない直下型地震で、しかも微妙に予測地震域をはずした極めて浅いところで起こったため、住民に対応できる術もなく、被害は思ったより甚大なものになってしまった。

周辺の交通機関は全てストップ、最悪の場合、死傷者は10万人を遥かに超えている可能性があるとみて救出活動を急いでいる。まだ復旧の見通しは立っていない。

 

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「どうしたの……呼ぶのよ」

やつれた顔で、壁にもたれたままさとみが言う。

「やだ……もうノド痛いもん」

膨れっ面で視線を合わせず麻衣が答える。

「……」

自分と同じように足を投げ出して座り込んでいる娘を、さとみはじっと見ていた。疲れと空腹で目はもう三白眼になっていた。

 

 

考え得る方法は全て試した。が、脱出することはできなかった。せめて食べ物をと思い、隣の倉庫へ進入しようといろいろやってみたが、それもみな徒労に終わった。なぜ麻衣は食品倉庫に入らなかったのかと、さとみは今頃になって思った。

2人ともかなり衰弱している。もう随分長い間、一滴の水も口にしていない。

「ママ、おなかすいた」

「……わかってる」

「ノドかわいた」

「わかってるって言ってるでしょ! 何度も言わせないで!」

彼女は苛立って怒鳴った。それも尋常な怒り方ではない。相当に神経がささくれ立っているのだろう。声が裏返っていた。

「だって、おなかすいたもん!」

こっちも同じように声を張り上げる。麻衣にしても当然もう我慢の限界だった。

「うっ……」

さとみは一瞬、失語症に陥ったかのように黙り込み、目を忙しなくキョロキョロさせたかと思うと、いきなり鬱憤していたものを全て吐き出し始めた。

「だからって、どうすればいいのよ! ここは家じゃないのよ? 何か作るわけにも出前取るわけにもいかないじゃない! これ以上私に何をしろって言うの? もうやれることはやったわよ! 精一杯やってきたわよ! その結果がこれじゃない! どうしてなのよ! どうすればいいのよ!」

「ママ……」

常軌を逸し始めた母の言葉に、麻衣は驚いて放心したようになっていた。当然だ。まだ2歳と10ヶ月の子供に対応できるはずはない。

「もとはと言えば、あんたのせいよ。ウロチョロ勝手にこんな所に入ったりして……そうでなきゃ、今頃は好きなものいっぱい食べて、テレビでも見てられたのに……ああ! ほとんにみんな麻衣のせいよ! あんたなんか産むんじゃなかった。そうすれば、こんな苦しい思い一杯せずに済んだんだ! 楽で平和な暮らししてられたんだ! あんたが悪いのよ!」

八つ当たり、と言ってしまえばそれまでだが、耐えてきたここ数年間の辛い想いが一度に出た形となった。

「……」

気が付くと、麻衣は黙って俯いていた。

「あ……」

それを見て、さとみがようやく我に返った。夜叉のようだった顔が、次第にバツの悪そうなものになる。

「……アレ嫌い、これ嫌いって……好き嫌い言ってたバチが当たったのよ……」

少し考えてから、そう一言付け加えたきり2人は会話をやめた。さとみは壁に背を預け、麻衣はその正面にあぐらをかき、目に涙を浮かべて俯いていた。

「はあ……」

さとみは娘から視線を外し、あらぬ方向をぼんやり眺めた。



マコト……あなたが悪いのよ……あなたは一体何だったの……

彼女は悲しい目で、答えが返ってくるはずのない問いかけをした。結局、さとみが麻衣を見ていて苛立つのは、顔立ち・性格ともに死んだ誠に似ているからかもしれない。

あなたはたった一言で私の人生を変えてしまった。産んでくれ、ただ一言で……。いくら産めない状況であろうと、おろせと言われていたら冷めていたかもしれない……。でも、あなたは違った。迷うことなく産めと言った。でも……やっぱり、独りじゃやっていけないよ……死んじゃったら、どうしようもないじゃない。……でも、お金、欲しかったもんね。たくさんじゃなくてもいい。だけど普通の暮らしができるくらいは、欲しかったもんね……そのために無理しちゃったんだもんね……しょうがないね……

彼女は俯き、また涙が出そうになるのを堪えようとしていた。

愛とお金。どちらを取るかと訊かれたら、迷わず愛と答えたい……でも、それを守るためには、やはりお金が必要なんだ……

彼女のジーンズに水滴が落ち始める。静寂の中で、その音だけがぽつ、ぽつ、と響き渡る。

「これから、ニンジンさんもピーマンくんも食べるもん……」

顔を上げると、麻衣は床をジーッと見詰め、唇を噛み締めていた。

「……」

さとみの表情が優しいものに変わる。

「……おいで」

と言って手を伸ばすと、すかさず麻衣は飛びついてきた。

 

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