街の片隅で…・1章

 

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交差点で1台のワンボックスカーが信号待ちをしている。1トン積みで白……いや、もと白と言った方が正しいだろう。キズや汚れで今はほとんどベージュにしか見えなかった。

「怒るわよ!」

と言いながら、さとみは既に怒っていた。助手席に座っている娘の麻衣を怒鳴り散らす。

「だって……」

後2ヶ月で3歳の誕生日を迎える麻衣はベソをかきながら、それでもなおむずかった。何が原因というわけでもない。ただ今日はなぜか格別機嫌が悪いのだ。大きな黒い耳の付いた帽子を被りうなだれている姿は、まるで縫いぐるみだった。

「ふ~ん……」

溜め息を付いてハンドルに被さり、ぼんやりと信号を眺める。さとみのその横顔からはまだ22歳とは思えぬ疲労の色が見て取れる。服装もピンクのサマーセーターにジーパンといった軽装で、ベージュ色の愛車によくマッチして薄汚れている。仕事で毎日段ボールを持ち運ぶためだ。洗濯しても落ちなかった。

 

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ガラス越しに見える街の景色は、どこか虚ろで人々の動作も現実味に乏しい……。日曜日だからだろうが、麻衣の機嫌だけではなく、自分まで苛立っているのはそれが原因かもしれないと、さとみは何となくそう思った。空を薄い雲が覆い直射日光を遮っている。風も少しあり、晩夏にしては比較的過ごしやすい午後だった。

身体を起こした彼女は、後ろで無造作に引っ詰めていた髪をといた。肩に少しかかるぐらいの長さしかない軽いウェーブの髪を、一度大きく振って整える。その時、信号が変わってさとみは乱暴に発進した。

 



 

しばらくすると、デパートの2階から上を鉈か何かでぶった切ったような少しいびつな建物が見えてくる。彼女はそこの駐車場に乗り入れた。

中央辺りに車を停める。

「早く降りなさい!」

外から助手席のドアを開け、まだぐずぐずしている麻衣を無理やり引きずり降ろす。腕を掴んで半分宙吊りの状態のままで、さとみは足早に店の中へと向かった。

外観以上に内部は広々としている。一階建てにも関わらず、日用品から衣類、食品に至るまで、何でも取り揃えているのだから当然と言えば当然だった。都会育ちのさとみには恐ろしく不経済に思える造りも、地価の安いこの地方では別に珍しいものでもなかった。

彼女はまず衣類のコーナーへ行った。次に日用品、最後が食品という順でまわることに決めている。荷物を持ち歩かなければならないからだ。服など買うつもりは元からない。それだけの余裕もなかった。

「え―っと、今夜は何がいいかな……麻衣ちゃん、あんまりウロチョロしちゃだめよ」

食品選びに熱中していて子供の方を見ずに言う。

「は~い」

こちらも返事は良いがまともに聞いてはいない。目的だった夕食の材料を見てまわる頃には、麻衣の機嫌も回復していた。3歳でもやはり女だ。母親同様、いろんなものに興味を示し、ひとり勝手に物色している。

「きのうは八宝菜、おとといはカレー。その前はお魚だったわね……う~ん」

悩み、肉と野菜のコーナーを行ったり来たりしながら自然に案が浮かぶのを待つ。無計画な時の彼女お得意の方法だった。

「ん、ん、ん、ん……よし! 今日は若鳥の照り焼き!」

ひとり頷き、次々と材料をカゴの中に放り込んでゆく。何を作るかが決まると後は結構早いのだ。

 

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「あら?」

選び終え、レジに向かおうとした彼女は、辺りに娘の姿がないことに気付いた。

「麻衣ちゃん?」

返事がない。もう一度呼ぶ。が、結果は同じだった。溜め息を付き、母親は仕方なしにカゴを通路の隅に置いて別のコーナーを捜しに行った。

「麻衣! 帰るわよ!」

日用品のところにはいない。衣類のコーナーも捜したが、やはり見つからなかった。

「どこ行ったのかしら。ほんとにもう……」

娘の名を呼びながら辺りをきょろきょろしている彼女に、近くにいた四十がらみの主婦が、

「麻衣ちゃんって、あのミッキーさん?」

と、声をかけた。帽子のことを言っているのだ。

「はい。ご存じですか?」

「ええ。そこの通路に入ってったわよ。止めようと思ったんだけど、気が付いた時にはもう」

「すみません」

相手の言葉を最後まで聞かずに会釈して、さとみはその主婦が示した通路の方へ向かった。




[関係者以外立入禁止]の札が張り付けてある。そとみは恐る恐るその扉を開けて中に入った。

あの子ったら、もう……

また怒りだしていた。抜き足差し足で奥へと進む。

細い通路の突き当りにもう一枚ドアがあり、そこを抜けると左手にやや大き目の鉄扉が並んでいた。品物別の倉庫のようだった。

早く見つけないと……

焦る気持ちを抑え、一番手前の扉をそっと薄目に開けて中を覗き込む。山積みの段ボール。チョコレート、クッキーなどと側面に印刷されている。醤油にソース、カレー粉もある。どうやらここは保存が利く菓子や調味料の倉庫らしかった。幸い、店員の姿はなかった。が、麻衣もいなかった。

彼女が二つ目にかかろうとした時、扉が内側から開き、麻衣が顔を見せた。

「あっ、こらっ!」

その声に驚いた麻衣は、反射的に回れ右して奥へと逃げた。そとみも慌てて後を追う。

「こらっ!」

すぐに追いつき、後ろから右腕を掴んで振り向かす。叩かれることを想定して、麻衣は左手を頭の上にかざして目を細めたかと思うといきなり泣き出した。

「ごめんなさい! うっ、うぇ―ん!」

察しの通り、母親はもう手を振り上げていた。が、場所が場所なのを思い出し、その手を握り拳に変えて娘の顔の前に持っていくと、

「後で怖いからね」

と、小声で威嚇した。それにより、半分ウソ泣きだった麻衣が本当に泣き出す。

「泣くとよけいに怒るわよ!」

「……ううっ」

口をへの字にして我慢する。父親似なのか、さとみとは似ても似つかぬ細い目が、今はよりいっそう線になり、ほとんどなかった。母親がそれを見下ろして顔をしかめる。

2人が最初の揺れを感じたのはその時だった。

さとみが気を取り直し、行くわよ、と言って娘の腕をぐいっと引っ張った時、いきなり地が震えた。

「あっ……」

動作を止め。反射的に天井を見上げる。家と違い、震度を知らせてくれるようなものは何もぶら下がってはいなかった。が、揺れは十分体感できるものだった。

「ママ……おうち、ゆれてるね」

麻衣もぼうっと上を見上げている。

かなり大きかった。2人はそれを感じながら、何も講じず突っ立っていた。2階のないどっしりした構造で、しかもコンクリートの中にいるので不安を覚えることはなかった。

数十秒で揺れは収まった。

「終わったわね……さあ、行きましょ。こんな所でぐずぐずしてると、ママだけじゃなくて店員さんにも叱られるわよ?」

「……うん」

麻衣もしぶしぶ同意する。覚悟を決めたようだ。外へ出ることは彼女にとって折檻されに行くことと同義なのだ。

 



 

「ふ~ん……」

目を辺りに移してさとみはひとり納得していた。その部屋は日用雑貨の寝室だった。肉や野菜などの生ものの部屋が入口付近にないことから、彼女は食品はまた別の場所なのだろうと思った。そんなものがこんな奥まった所に置いてあるわけはない。店からドア一枚の所で、常時何人かのひとが品質を管理しているはずだ。彼女は娘がそんな場所に乱入しなくて良かったと、この時はまだそう思っていた。

「あっ、こんなことしてる場合じゃないわ。早く出な……」

地震のせいで変に落ち着いてしまっていることに気付き、声に出して自分をたしなめようとした時、それは来た。

一瞬だった。微かな揺れを感じたかと思うと間を置かず、ドカン! 文字通り何かが爆発したような感じだった。

段ボールが2人を襲う。さとみは無意識のうちに麻衣を懐に入れて床に伏せる。それと同時に天井と壁が崩れた。先ほどの、彼女たちが大きな地震だと思ったものは、ただの前触れに過ぎなかったのだ。

2人はガレキの下敷きになってしまった。

「ううっ……」

さとみには何がどうなったのか、さっぱり分からなかった。砂煙の中で、彼女の脳裏を過去が物凄いスピードでフラッシュ・バックし始める。

「マ、コ、ト……」

途切れ途切れにそう呟いたきり、目が反転し、彼女は意識を失った。

 

 

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