プロローグ
― 俺は人間じゃないのかもしれない……
薄暗い部屋の中で、春日涼は音の出ないテレビの画面をぼーっと見つめていた。
調度品のあまり揃っていない部屋で、目を引くものといえば、壁を埋め尽くしている本棚ぐらいだ。そこには小説の類は一切なく、『宇宙人の謎』『ノストラダムスの大予言』『世界の超能力者』等、いわゆる《神秘もの》と呼ばれるものばかりが、ぎっしり並べられている。
故意的に無音声にされたテレビでは、訳の分からぬ外人がスプーンの柄を擦って曲げたり、カードの数を当てたりして会場に詰めかけた人々を驚かせていた。
― この人は……一応、本物のようだ。薄い《気》を感じる。マジシャンがほとんどだからな……。が、テレビに出ていられるぐらいなら、まだいい……
憂鬱そうな顔で、涼は先ほど飲んだコーヒーのカップから無造作にスプーンを抜き取り、それを見た。その途端、スプーンの先は柄の部分から切り離され、勢いよく吹き飛んだ。テレビにぶつかり、床に落ちる。
「こんなもの、人に見せられない……」
用をなさなくなった物体を見ながら、彼はぽつりと呟いた。
次の瞬間、その手の中には何も残ってはいなかった。スプーンの柄は、音もなく消滅していた。
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1
「……まあ、これは余談になるが、人間は猿から進化した。厳密に言うと、猿と同じ祖先から進化したんだ」
理科の教師・早乙女が、得意げな面持ちで語り始めた。いつもの如く一席ぶとうというつもりらしい。
涼の通う光成高校。五時間目である。
食後すぐということと秋の陽気で、生徒たちは皆眠そうだ。早乙女が授業をやめて余談に切り替えたのも、そのことを考えたからかもしれない。
窓際、前から四番目の席に涼が座っている。
「最近はダーウィンの進化論を否定する学者がいる。だが、俺はそいつらに言いたい。アンタらバカじゃねえの? ってね。小学校で習わなかったのかっていうの」
授業中は大概ぼんやり窓の外を眺めているだけの涼だったが、こういう話の時は別だ。したり顔で話している早乙女を、怒ったような表情で凝視している。
「じゃあ、人はどっから来たの? ハハッ、中にはひどい奴がいて、宇宙人が種蒔いていったなんて馬鹿げたことを言う。おかしいだろ? そんなこと言ったって、陽は西から昇らないよ? だろ?」
― それとどう関係があるんだ……
涼は本気で腹を立て始めていた。
「そんなことを言う奴がいるから、おまえ達がおかしくなるんだ。まともに将来のことを考えない。俺の友達にも……いや、元友達だな。変なのがいてなァ、竹取物語のことを話してたら、あれは宇宙人の話だ、なんて言いやがる。『もと光る竹』は小型の宇宙船。それに乗っていたのが宇宙人の子供・かぐや姫。宇宙人だから人間と成長過程が違ってもおかしくない。迎えに来たのがUFOで、兵が動けなくなったのはマインド・コントロール。全て宇宙人との接近遭遇の話で、当時の人々には理解できなかったから、そのまま書き残したんだと主張する。俺は頭に来て言ってやった。おまえは社会の癌だってね。……結局、そいつとはそれっきりになっちまったけど、それで良かったと思ってる。あんな奴と付き合ってても、なんの得もないからなァ」
他の生徒たちは皆興味深そうに聞いていたが、涼だけは相変わらず早乙女を睨んでいる。
「あれから何年かして、そんな映画できたよな? ハハッ、笑ったよ、ほんと。馬鹿が他にもいたってね……。いいか、おまえら、竹取物語はな、貧しい人々の願望・夢・希望を表した[お話]なんだ。決して宇宙人の話なんかじゃない。宇宙人なんか、いないんだ」
早乙女の語気がだんだん荒くなってくる。
― どうして、そんなことが言えるんだ!
涼も完全に怒っていた。
「なぜか? それはな、人間が生きているうちに到達できる範囲内に、知的生命体が生息可能な星はないからだ。……おまえ達も知ってる通り、地球など太陽系ではごく小さなものだ。その太陽系すら銀河系の中では豆粒みたいなもんだ。その天の川銀河でさえ宇宙の中では塵に等しい。そんな広大な宇宙で、知的生命体同士が出遭う確率など皆無と言っていい」
― それは地球人の概念でしかない!
「分かったか? だから、くだらねえSF小説読んだり映画見たりしてる暇があったら勉強しろ。その方がおまえらのためだ。……ああ、そういえばこの間、テレビで何とかいう外人がスプーン曲げたりしてたけど、あんなもん信用するなよ。あれは薬品とか使えばできることなんだ。付け加えて言う。超能力者なんて、い、な、い」
「!」
その言葉に、涼の理性は消し飛んだ。キッと鋭い目を教壇の方へ飛ばす。その途端、早乙女のネクタイがものの見事に縦真っ二つに裂け、教卓の上に落ちた。
「わ、わわわっ! なんだ?」
驚いたのは被害者だけでなく、観客たちも呆然と目を見開いている。あまりの衝撃に声を発する者すらいない。
「あああ……」
早乙女はしばらくの間、しどろもどろになっていたが、生徒たちが見ていることを思い出し、
「ああ……エヘン、な? こんなふうに、マジックをちょっと齧れば誰だってできるんだ。ハハッ……」
と、平静を装って言った。その時、彼を救うかのように終業のチャイムが鳴った。
「なんだ、先生がやったのか。びっくりしたよ」
男子生徒の一人がそう言って笑った。それを皮切りに皆口々に話し始め、場が和やかさを取り戻した。
「ハハッ、そうか? 驚いたか? まあ、暇な時またやってやる。じゃあ、今日はこれで終わり!」
早乙女はネクタイを鷲掴みにして、礼をせずにそそくさと教室を出て行った。
いまだに、信じられないといった顔をしている者もいるにはいたが、一応、早乙女の芝居は涼以外の生徒たちには通じたようだった。
「ふ~ん……。ま、あんなの相手に怒ってても、しょうがないか」
堅かった涼の表情もやっと幾分ほぐれた。またいつもの如く窓の外を眺める。
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「春日」
名を呼ばれて涼が振り返ると、そこには中山が立っていた。彼の数少ない友人である。
「おまえ、早乙女の話どう思う? 言わんとしてることは分からなくもないんだけど、なんか、あの口調が気に入らないんだよなァ」
そう言いながら中山は近くの机を引き寄せて、その上にドッカと腰を下ろす。
「ああ」
涼はそれだけ答え、また窓の方を向いた。
その横顔からは非常に厭世的なものが見て取れる。それが普通にティーンネイジャーの憂鬱とは、どこか微妙に違っているということを中山は感じた。
「おまえ、ほんとに変わってるなァ。いっつもぼんやりしてて。何考えてンだ?」
「別に。何も考えてないよ」
「だから変なんだよ……。みんながやってるようなこととには全然興味ねえし……頭良くて、わりとルックスも良いからモテるのに全部振っちまうし」
涼が彼の方を向き、微笑む。
「ん?」
中山はその笑顔の意味が分からず首を傾げ、続ける。
「おまえなァ……俺らの年頃っていやァ、女が欲しくて欲しくて仕方ねえ時期なんだぞ? 分かってンのか? そら贅沢ってもんだ」
「ハハッ……そうか?」
「そうだよ。あっ、ほら見ろ。千尋……あのオッパイ。七十のCってとこだな」
中山は一人の女子生徒を顎で示して言った。
「山崎か……」
涼も彼女を見る。
「そうだよ。おまえが振った子だよ」
「だけど、あいつ、そんなに胸ないのか?」
「バカッ。アンダーだよ。つまり85ぐらいだってこと。何にも知らねえな、おまえは……」
「……」
「そんでもってウエストは、キュ~ッと締まってて58、いや、7もないぐらいだ。カワイイ顔してるしな。ああ……ンとに、もったいねえ。断らなきゃ今頃、あのおいしそうなの食べられたのに」
「じゃあ、おまえ食えよ」
「えっ? そ、そりゃあ、食わしてくれるってンなら、いくらでも食うよ……もう、三回も断られた」
「ハハッ、おまえ、下品に迫るからだ」
「悪かったな! どうせ俺は下品だよ」
中山が膨れてしまった。涼は微笑みながら、また外の景色を眺め始めた。
見慣れた町並み。都心から少し離れているため高いビルなどはあまりなかった。室内にいると陽が射し込み暖かく感じるが、外では風が校庭の木々を揺らして冬がそう遠くないことを告げていた。
中山も黙って同じようにしていたが、しばらくしてぽつりと呟いた。
「おまえ……なんか、ここにいるのがおかしいような気がするな……」
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